【デルフォイの神託】アポロン神殿の神託の本当の意味。




あなたはアポロン神殿にある神託、「デルフォイの神託」の本当の意味について知っているだろうか。

古代ギリシャにはたくさんの哲学者たちが存在しており、ソクラテスをはじめ、プラントやアリストテレスといった現代にも語り継がれる聡明な哲学者が数多く存在していた。彼らの知恵は時代が数千年進んでいる現代にも通用することが多く、ソクラテスの「無知の知」といった有名な格言なども現代を生きる私たちにとって有用な言葉だといえるだろう。

 

そうした中で、昔から語り継がれている格言の一つに「汝自身を知れ」がある。この言葉はあまりにも有名になりすぎているため、誰もが一度は映画やドラマ、漫画やアニメの世界で耳にしたことがあるのではないだろうか。

だが、「汝自身を知れ」に込められている本当の意味について理解している人は驚くほど少ない。というのも、人間は言葉の表面的な部分にしか目を向けず、言葉の革新的な部分からは目を逸らしがちになのである。

ここでは、アポロン神殿にある「デルフォイの神託」の本当の意味について解説していく。



デルフォイの神託とは?

デルフォイとはギリシャの中部にある「聖域」として知られる場所である。さきほども述べたように、古代ギリシャには数多くの哲学者たちが存在していたが、デルフォイにあるアポロン神殿の入り口に、「汝自身を知れ」という格言が刻まれているのは有名な話である。

ギリシャ哲学について触れている文献や書籍の中でも、「デルフォイの神託」の格言が引用されることは多く、プラトンの「プロタゴラス」の中では、ソクラテスが「七賢人が神殿に集まりこの碑文を残した」と述べている。

 

プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

プロタゴラス―あるソフィストとの対話 (光文社古典新訳文庫)

 

実際、デルフォイの神託を残した人物が誰かを突き止めることは不可能であり、言葉の真の意味についても現代に生きる私たちが推測するしか方法がないのが事実である。

そのため、現代では数多くの哲学者や歴史家といった人たちが、デルフォイの神託についてのさまざまな考察を巡らせている。

 

しかし、「汝自身を知れ」という言葉が広く知れ渡っている一方で、アポロン神殿にはもう一つの格言が刻まれていることについて知っている人は少ないのではないだろうか。

その格言とは「Meden agan(度を越すなかれ)」だ。

 

汝自身を知れ

さきほども述べたように、「汝自身を知れ」という言葉自体はおそらく誰もが一度は聞いたことがある格言であり、本やマンガ、映画やドラマの中でもよく使われている言葉である。

汝自身を知れという言葉は、人生の道に迷っているときや、やりたいことがわからないとき、自分の生きる意味や選択に悩んでいるときなどによく使われる言葉であり、一般的な解釈としては「汝自身を知れ=自分自身を知れ」という意味として知れ渡っている。

 

自分自身を知るというのはそのままの意味で解釈することができ、自分はどういう人間なのか、何が好きなのか、何を求めているのか、何がしたいのか、どこに行きたいのかといった、自分自身にまつわる事柄すべてに当てはまるものである。

しかし、「汝自身を知れ」という言葉を残した人は、本当にそうした意図を持ってこの言葉を残したのだろうか?

 

個人的には、「汝自身を知れ」という言葉には、上述したような現代人の若者が悩みそうな意味が込められているのではなく、「汝自身」とはすなわち「人間」のことなのではないかと思っている。

つまり、「汝自身を知れ」というのは「人間を知れ」ということであり、自分は何が好きなのかといった平凡な悩みに対する答えなどではなく、「人間という生き物を理解せよ」という、まだ神の存在が肯定されていた時代ゆえの言葉なのではないだろうか。

 

そしてデルフォイのもう一つの神託である「Meden agan」という言葉にも、このことを裏づける意味が込められているのだ。

 

Meden agan(度を越すなかれ)

アポロン神殿に刻まれた格言として「汝自身を知れ」を知っている人は多いが、もう一つの格言である「Meden agan」について知っている人はあまり多くはいない。

Meden aganは古代ラテン語で「度を越すなかれ」といった意味であり、「過剰の中の無」という意味で解釈されることもある。

 

アポロン神殿に刻まれているこの第二の格言こそ、さきほど説明した「汝自身を知れ=人間を知れ」という私の個人的な解釈を裏づけている。というのも、「度を越すなかれ」という言葉も、「何事もほどほどが一番」といった意味が込められた言葉ではなく、「人間の限界を知れ」という意図を持って残された言葉であると私は解釈しているのである。

ギリシャ神話にはゼウスをはじめ数多くの神が登場していることからもわかるように、古代ギリシャ時代では神が本当に実在していると誰もが疑っていなかった。

 

神は運命を絶対的なものとして掲げ、人間と自然を創造し、この世界と宇宙をもコントロールしていると思われていたのだ。

神の存在は絶対的なものであり、何者にも邪魔することはできず、神に逆らうことなどもってのほかである。ましてや、神が創造した人間が神に近づこうなどとは考えてはいけないことであり、人間が神になろうとするのは神への冒涜、侮辱であるとさえ考えられていた。

 

そうした考えが古代ギリシャにおいてあたり前であり、疑いようもない真実であったからこそ、多くの人々への警告として、アポロン神殿のデルフォイの神託には「Meden agan」、「度を越すなかれ」という言葉を刻んだのではないだろうか。



デルフォイの神託の本当の意味

私たちは紛れもなく人間である。お腹が減れば食べ物を食べ、眠くなれば睡眠をとり、他人と言語を使ってコニュミケーションを交わし、信用と協力によって数多くのことを実現してきた。

多くの争いと戦争を経て、都市国家を設立し、社会という目には見えない抽象的なものを誰もが信じるからこそ、貨幣による交易や社会システムは成り立っているのだ。

 

これほどまで多くのものを生み出し、進化と退化を繰り返しながらもなんとか前へと進んできた人間である私たちは、今や科学技術を駆使して遺伝子を操作したり、宇宙へと飛び立ったり、再生医療により不老不死にまでなろうとしている。

しかし、たとえどれだけ文化や技術が発展しようとも、私たち人間の脳はおよそ5万年前からなにも進化してはいない。

 

死すべき生物である人間としての枠組みを超えることはいまだできず、知識が大量に蓄積されていったとしても、私たちは100年もすれば死に抗うこともできず無力に死んでいく。

デルフォイのアポロン神殿に刻まれた二つの格言である「汝自身を知れ」「Meden agan」という言葉は、私たちが紛れもなく死ぬ運命にある人間であることを思い知らせ、死は克服するものではなく受け入れるものであることを教えてくれる。

 

人間は死すべき存在としてこの世に生を受け、その時が来れば静かに退場していくだけの存在である。

死があるからこそ、私たちは家族や友人と多くの時間を過ごし、人間であることに喜びを感じ、他人や社会のために役立つことをしようという気持ちになれるのだ。

 

人間は生まれながらにして社会的な生き物であるとよく言うが、それもすべては「死」が絶対的なものだからこそ成り立つものである。

毎日の生活と人生に幸せを感じ、喜びと満足を得るためには「人間であること」「死ぬべき生き物であること」を常に意識しておかなければならない。

 

アポロン神殿のデルフォイの神託は、人生の意味に悩み、生きる意味を見失っている人にこそ役立つ言葉なのではないだろうか。

おしまい。








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