私が毎日3時間、週20時間の読書をする目的とは?




現代人は昔の人と比べて読書することが極めて少なくなっているらしい。アンケート調査によると、日本人の大学生は1年間に平均で2.5冊程度しか本を読まないといわれており、日本人の読書率は年々下降しているのが事実だ。

現代人の多くは読書するよりもスマホでゲーム。本を買うよりも服や食べ物にお金を使うことを好む。もちろん、読書することがほかの時間の過ごし方よりも偉いわけではないが、読書で得られることとスマホのゲームに課金して得られることには天と地ほどの差があるといえるだろう。

 

私は毎日3時間以上の読書をすでに何年も続けている。週の読書時間は20時間を超える。しかし、これは別に自慢しているわけでも、努力していると周りにアピールしているわけでもない。私が読書をするのはただ本を読むのが好きだからだ。

読書からは実にさまざま知識を得ることができる。世の中に出回っている本の中には、過去の偉人たちの知恵や知識、経験や体験がふんだんに含まれているのだ。さきほど、私が読書をするのは本が好きだからだと述べたが、私の読書の本当の目的はここにある。つまり、読書は学校の勉強では得られない深い知識を身につけられるということだ。



読書から得られるもの

一般的に、読書から得られることは大きく分けて二つある。

一つ目は「知識」や「情報」といった、人が生きていく上で役に立つこと、知っておいても損はしないことだ。そうした知識や情報は、自分の生活や人生を充実させるために役立つことであり、あらゆる分野に精通した知識を蓄積すればするほど生きるのが楽になる。

特に生物学や遺伝学、脳科学や神経科学などについての知識は、情緒不安定な人やメンタルが弱い人、生きていくのがつらいという人にとっては非常に有益となるだろう。

 

読書から得られることの二つ目は、「感性」や「感受性」が高まることだ。

これは主に小説を読むことで得られるものであり、作者が紡ぎ出したストーリーや世界観というものに没入することで、自分の中には存在しなかった感性を開花させることができる。

多くの虚構の物語に触れれば触れるほど感受性は高まり、現実の日常生活の中でも何気ない出来事や風景に対してたくさんの感情を感じることができるようになるのだ。それにより日々の充実感や幸福感、満足度も高まるため、人生を楽しむことを第一として生きている人は、小説を読むことでより幸せな感情になれるだろう。

 

読書の意味とは?

私は散歩をしながら色々と考え事をするのが好きな人間である。読書をして疲れたら散歩をし、家に帰ってきてまた読書をする。仕事以外の時間は基本的には本を読み漁っている。

私がよく好き好んで読む本は、さきほどの分類でいえば、基本的な知識を身につけるための科学的な本が多く、特に脳科学や神経科学が大好きである。

 

だが、それはあくまでも基本的な下地としての知識、自分なりの考えを練るためのベースとなる知識を身につけるためのものであり、本を読んで知識を身につけてハイ終わり、というわけではない。哲学から脳科学、生物学から遺伝学にいたるまで、すべての知識は自分なりのアイディアを練るために身につけていることであり、自分が読書をする目的もここにある。

私が考える読書の意味とは、自分で考える力を身につけることである。ベースとなる基本的な知識がなければどんな物事に対しても考えを深めることはできないし、オリジナルな考えを突き詰めて考えることもできない。数学がわからななければ、物理法則を理解することはほぼ不可能である。

 

私にとって読書とは、考えるためのツールなのである。

 

読書と速読

現代では読書をする人が少なくなっているとはいえ、SNSなどを見ていると毎日何冊も本を読んでいると豪語している人を見かける。彼らと「読書」という共通の趣味について語るとき、はじめに言ってくることといえば「毎日何時間読んでいるんですか?」「年間何冊ぐらい読みますか?」といったことだ。

何時間?何冊?まるで彼らにとって読書とは他人との競走であり、本を読んでいる時間と冊数が多ければ多いほど、賢くて聡明な人間であるとでも思い込んでいるようだ。

 

さきほども述べたように、私が本を読む目的は考えるためのベースとなる知識を身につけることであり、仕入れた知識や情報をビジネスに生かしたり、他人にドヤ顔で語るためにしているわけではない。

そのため、速読やら今までに読んだ本の冊数とやらにはまるで興味がない。本を読んでる時間と速度、冊数を自慢気に語るのは自分のことを賢いと勘違いしているバカな大学生がすることである。

 

新しいビジネス本を欠かさず購入し、いち早く速読して知識を身につけたと思い込み、自分は賢いと勘違いしてスタバに入り浸っている大学生やビジネスマンよりも、お気に入りの作者が紡ぐ物語を、丁寧に何度も読み込んでいる人のほうが格段に賢い。

読書の目的は人それぞれだが、本を読むこと自体にはおよそ意味がなく、大切なのは読書をしている自分は賢いのだと勘違いしないこと。そして、知識を他人に自慢するために身につけるものだと思わないことである。



私が毎日たくさん読書をする目的

ここまでは、読書から得られるもの、読書の意味、速読についてまとめてきたが、ここからは本題である「読書の目的」について紹介していく。しかし、勘違いしてほしくないのが、ここでまとめている読書の目的は「私が思う読書の目的」であり、いたって主観的なものとなっている。

そのため、以下に述べていることが必ずしも正しいわけではなく、当然のことながら読書の目的は人によって異なるのがあたり前である。なので、これから述べていくことはあくまでも、「読書の目的がわからない人」にとって自分なりの読書の目的を見つけるためのものである。

読書をする目的がわからない、読書は何を目的にすべきなのかわからない人はぜひめを通してみてほしい。

 

自分の頭で考える力を鍛える

自分が思う読書の目的の第一は、自分の頭で考える力を鍛えることである。

読書は決して読んで終わりなわけではない。ショーペンハウアーが述べているように、「読書は他人に考えてもらう行為」なのが事実だ。本の中に書かれていることは、著者が必死に考えたものであり、読書は著者が考えたことを読んでいる間に拝借しているに過ぎない。

 

そのため、読書をしてハイ終わり。さて、次の本を読もう。といったことを繰り返していても、実生活に役立つ知識は何一つ身につかない。大切なのは読書をした後にしっかりと自分で内容を考える時間をつくることであり、考える時間を持つことで自分の頭で考える力が鍛えられるのである。

自分の頭で考えることは、世間の常識や今まであたり前だと思われていたことに対し疑問を投げかけることである。誰もが一度は世の中の常識に対して疑問や矛盾を感じたことがあるのではないだろうか。

 

しかし、たいていの人たちは余計なことは考えず、不条理なことや矛盾していること、合理的に考えておかしなことに対しても無理やり自分を納得させながら生きている。こうした思考停止は自分の頭で考える力が足りていないことによるものだ。

読書は他人の考えを拝借するものだが、他人の考えを改めて自分で考えることにより、自分の頭を使って考える力が鍛えられるのだ。その力はいつの日か必ず人生の役に立つだろう。

 

勉強では身につかない知識をつける

読書の目的の二つ目は、勉強では身につかない知識をつけることである。

これに関しても、誰もが一度は学校の勉強や授業に対して「意味がないんじゃないか?」と思ったことがあるはずだろう。実際、実生活においては基本的な読み書き能力、計算能力さえあれば誰でもそれなりに生きていくことはできる。微分積分などの高度な数学の知識は実生活ではまったく使わないし、1853年に黒船が来航したことは大人になってから会話に出ることはまずないだろう。

 

学校は「必要最低限の教養を身につける場所」として設立されたものだが、実際に真面目に何年も学校に通っている人たちがなるのはニーチェ風にいえば「教養俗物」でしかなく、実生活に役立たない知識や教養ばかり身につけ、本当に大事な知識が身についていないことが多い。

読書は、学校の勉強では教えられないことや決して触れられない、実生活に役立つ地に足のついた知識を身につけることができる。もちろん、それは読む本によっても大きく左右されるが、どんな本にも何かしらの発見があるものであり、人生や実生活に役立つ発見は学校の教科書からは得られない。

 

しかし、だからといって学校の勉強がすべて無駄だといっているわけではない。人によっては学校の勉強が何よりも大切になることもあるし、高度な数学の知識が必要な人にとっては学校に通って勉強することには読書以上の価値があるだろう。

だが、一般的な大人に関しては、読書は学校の教科書の外にある「実生活に役立つ本当に必要な知識」を身につけるために有益なものであり、そうした知識は自分の頭で考えることと合わせて、人生で大いに役立つものとなるはずだ。

 

物事を見る視点を広げる

私が思う読書の目的の最後は、物事を見る視点を広げることだ。

これはさきほどの「勉強では身につかない知識をつける」ことによる副次的な効果でもあるが、読書で知識が身につくにつれて、以前の自分では考えることができなかったことまでも考えることができる。つまり、物事に対する視点が単一的ではなく多角的になるのだ。これは読書の目的に関しても同じことがいえる。

 

たとえば、読書の目的をここで述べていることだけだと思っていれば、それはいたって単一的な視点であり、視野を狭める愚かしい行為だといえる。しかし、読書そのものに対するさまざまな知識を身につけることにより、自分なりのオリジナルの読書の目的を見つけることができる。これが知識により視点が広がるという意味である。

新しい知識が何も入ってこない状態だと、今持っている知識の外側にあるものについて考えることができない。さらに言えば、自分で考えられないことはあたかも存在しないもののように思い込んでしまうのだ。自分が思っている読書の目的こそ正しいと思い込み、自分にはない目的について考えることができない。視野が狭い人間というのはそうした人間のことをいう。

 

物事に対する視点が広がれば広がるほど、日常的な物事に対して柔軟に対応できるようになる。周りに流されて自分の意見を決めることもなくなり、しっかりと自分の頭で考え、自分なりの答えを持つことができる。それでいて、自分が持っている知識の外側も考えることができるようになる。

読書は狭い世界で生きている自分を、世界の外側に連れ出してくれる。自分が知らない世界を知るのはとても楽しい。物事への視点を広げてくれる読書は、私にとってかけがえのないものである。

 

【まとめ】自分なりの読書の目的を持つ

ここでは読書の目的について、私個人の視点でまとめてきた。

昔からよく言われるように、読書は人生においてとても大切なものであり、読書をすることで人生をより有意義に生きられるようになる。つまりそれは、知識は人生において必要不可欠なものであり、知識こそが実生活でもっとも大事なものだということだ。

知識がなければ人は自分の頭で考えることができない。自分の頭で考えることができなければ、世間の間違った常識や不条理に対してもただ我慢して従うだけになってしまう。大切なのは自分の頭で考えるための知識を身につけ、多角的な視点で物事を見ることなのだ。

 

読書の目的は人それぞれ違うものだが、読書の根底にある核の部分は大体共通しているだろう。読書をすることが人生のすべてではないが、読書に費やした時間は必ず自分自身にとって有益なものとなるはずだ。

私の読書の目的が、誰かが自分なりの読書の目的を見つけるための役に立てば嬉しく思う。

 

おしまい。








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